六ヶ所村地名の由来

六ヶ所村は、明治の町村制施行で6つの村が集まってできました。
それぞれの名が馬に由来するという伝記が、200年ほど前の文書に残されています。
古来この地は名馬の産地として知られており、鎌倉時代に『生食(いけづき)』という名馬が源頼朝の軍馬になりました。その馬の門出たところが「出戸(でと)」、身丈が鷹待場の架のようだったので「鷹架(たかほこ)」、背中が沼のように平らだったので「平沼(ひらぬま)」、尾が斑になっているので「尾駮(おぶち)」。さらにその馬に鞍を打ったので「倉内(くらうち)」、鎌倉へ引き渡すために泊まったところが「(とまり)」となりました。


集落の地名にまつわる伝説を記す「木村文書」

 

菅江真澄とおぶちの牧

寛政5年(1793年)の冬、平安中期の後撰和歌集に詠われている「おぶちの牧」を見るため六ヶ所村を訪れた人物がいます。
江戸時代の旅行家・菅江真澄(1754年~1829年)です。真澄は旧暦の11月30日から、およそ2週間をこの村で過ごし、その自然や人々の様子を歌や絵にし、旅日記を残しています。


菅江真澄
(秋田県立博物館所蔵)

泊のボットアゲ
 

尾駮のマテ小屋
「おぶちのまき」

 

まるきぶね

泊地区に現存する丸木舟は、昭和30年代まで、アワビやワカメをとるための磯船として使われていました。
丸木舟は船底が浅いので風に流されにくく、他の船に比べて作業がしやすかったといわれていることから、先人たちの知恵と工夫がうかがえます。
その一隻は国指定重要有形民俗文化財に指定されています。


「泊のまるきぶね」

 

縄文遺跡

ここ六ヶ所村には富ノ沢遺跡や大石平遺跡など、145ヶ所の遺跡があります。
青森県内でも最大級の集落跡と思われる遺跡、富ノ沢遺跡は4700年前から4000年前にかけて、約500軒から成る大集落であったと考えられています。
また、縄文後期の大石平遺跡からは、集落跡とともに、子どもの手形や足形などが発見されています。これらの遺跡は縄文の暮らしを知る上で大変貴重な資料です。


左:鼻曲がり土面
右:赤漆切断彩色壷型蓋付土器

 

神楽

六ヶ所村には各集落に古くから伝わる神楽があります。
大きく分けると太神楽と山伏神楽がありますが、そのなかでも早池峰系や能舞などいくつかの系統に分かれており、集落ごとに違います。
神楽は、祭りの日に神社に奉納されるほか、正月には家々をご祈祷してまわります。この伝統文化を守るため、村では神楽を無形文化財に指定し、保存会の人々が次の世代へと継承します。
 


村指定無形文化財「泊神楽」

村指定無形文化財「新山権現」